Remember , I love you
「さあ、気に入った?」
全身が映る鏡の前であと一歩でしかめっ面になりそうな顔をしている愛娘を見やって、シエラは口元を綻ばせた。
いつも彼女が乗り回しているタイニーブロンコの色と同じスカーレットのドレスは、すらりとした娘によく似合った。
無駄な装飾がないシンプルなデザインは、かえって彼女の若さと活力を引き立てている。踝までの丈のスカートから
のぞいているのは、これも真っ赤なハイヒール。
「……何かヘン。仮装みたいじゃない?」
いつもはフライトジャケットにエンジニアブーツで吹っ飛んで歩いているシーダは、ぐらつくハイヒールが気に入らない。
シエラは笑って娘のほつれ毛をピンで留めなおしてやる。
「18歳のバースデーは特別なんだから、ちゃんとお祝いしないとね」
たまには娘を持った母の気分を楽しませてちょうだい、というシエラに、シーダは肩をすくめる。
確かに、村の口さがない連中からは「艇長のところはムスコが二人」と言われているのだ。
「仕方あるまい。今日だけだからね」
父の友人の口調を真似しながら、彼女は母の後について部屋を出た。
「おいおい、これは一体どこの別嬪だ?」
家の戸口で待ち構えていたシドは口からタバコをむしりとって破顔した。
「そういや、ウチにも娘がひとりいたっけな」
「うっさい、親父」
愛情を込めた父の揶揄に、娘も悪態で応じる。きれいに装った妹の姿に双子の兄のシドニーはぽかんとした顔になった。
「…シーダが別人になった」
照れ隠しに父と兄を順番に睨みつけた彼女の瞳は、壁に肩を持たせかけていた長身の男のところで止まる。
20代後半の若く美しい姿をした父の友人は、穏やかな眼差しで彼女を見ていた。
「よく似合っている」
ごく自然に送られた賛辞にシーダは声もなく赤くなる。その彼女にヴィンセントはゆっくりと近づいた。
「だが、それは預かろう」
「何でわかったの?」
差し出された手にドレスの中に隠していたナイフを渡しながら、彼女の唇はとんがった。
「だって、こんなカッコさせられて、いつもと同じもの持ってないと落ち着かないよ」
「気持ちはわかるが」
ヴィンセントは苦笑する。
そういう彼もいつものレザースーツにマントではなく、シエラが用意した服を身につけていた。その大腿のホルスターには
大型のハンドガンがいつもどおりに収まっている。
年に数回ふらりと現れる彼のために、シエラは必要な品をクローゼットの隅に用意していた。
大抵は長旅で薄汚れた格好をしているのと、シドの服ではサイズが合わないからなのだが。
「さぁて、行くぜ。料理がお待ちかねだ」
シドが隣にいた息子の肩を叩いて歩き出す。
向かう先は上海亭だ。ロケット村で18才を迎えた若者はこの老舗でバースデイパーティをするのが慣わしになっていた。
親しい友人や親戚が集まり、大人の仲間入りをした若者を祝うパーティだが、村の顔であるシドの双子となると話が違う。
それに誕生日が同じヴィンセントが強引に召喚されるので、彼目当ての婦人会も黙ってはいない。
双子の友人たちはもとより、シドのクルーたちまで誕生祝いにかこつけて飲むために集まって、上海亭は貸切の大宴会場
と化していた。
石畳の村の道にヒールをとられ、さっそく転びそうになったシーダは差し出された腕につかまって悪態をつく。
「エスコート役って杖代わりなの?」
「そのようだ」
子供の頃からなじんだ重低音の声になだめられ、彼女は姿勢を直して相手の腕に自分の腕を巻き付けなおす。
こんな歩きにくいものには反重力ブースターを標準装備させるべきだとぶっ飛んだ意見を言い出すシドの娘に、彼は小さく
笑ったようだ。
本人たちの意見や感想は別にして、ヴィンセントがドレス姿の娘を連れて歩く姿は通りすがりの村人たちが足を止め、眩し
そうな視線を送るのに十分だった。
上海亭は主役たちを待ちきれずに飲み始めた客たちで大賑わいだった。
予定以上の人数が集まったために立食形式にせざるを得なくなり、料理もバイキング方式だ。それでも飛空艇師団の
本拠地であるロケット村では各地の名産珍品が集まり、賑やかにテーブルを飾る。
今日のメインはグラスランド産のエピオルニスのグリル。アイシクルから届いたサーモンのパテやウータイ名産のアダマン
タイマイのスープなど、居並ぶ食材は豪華の一言だ。この村の人々は揃って舌の肥えたグルメでもあった。
一足先についたシドニーが友人や父のクルーたちに声をかけられ、シャンパンを勧められる。その後に到着した二人に
店中の視線が集中した。
いつも男のような姿で村一番のじゃじゃ馬として鳴らしている娘の、日頃との激しいギャップが一同の声を奪う。
その隣に立つエスコート役はロケット村の若者と同じような服装をしていたが、その美貌と醸し出す静謐な空気が店内の
女性たちの目を釘付けにした。彼とドレス姿の娘のどちらがより人々の注目を集めたかわからない。
彼の戦いぶりを知っている男たちはその桁外れの強さに、それを知らぬ女たちは美しい容姿にため息を洩らす。
集まっていた年の近い若者たちから羨望の声が上がった。
18歳になった娘は誕生日パーティのエスコート役に交際相手を選ぶことが多い。
運悪くその時期に相手がいない場合は、親戚なり近所なりから見繕う。その相手が誰かということで娘たちの間に微妙な
序列が決まってしまうのだ。
これは女として負けられない秘かで熾烈な戦いでもあった。
「シーダ、いいな」
娘の一人が思わず洩らした一言に周囲が同意する。
ジェノバ戦役の英雄の一人であるヴィンセント・ヴァレンタインは、彼女たちにとって到底手の届かぬ高嶺の花だ。
その彼の腕につかまって登場したシーダに嫉妬するなという方が無理だろう。
シドのもとを気まぐれに来訪するヴィンセントは、村の女性たちにとって憧れの存在だった。
時の流れの影響を受けず若く美しい姿を保ったままの彼をモンスター扱いする人々もいたが、シドの息のかかったロケット
村でそんな不心得者はいない。
ヴィンセント自身もこの村では緊張を解いて子供好きの人間らしい側面を見せるせいか、人々はいとも自然に彼を受け
容れていた。
友人たちに囲まれたシーダはさっそく祝福と羨望の洗礼を受けた。
「ちょっと、シーダ!差をつけてくれちゃって」
「そーよそーよ」
パーティ用に装ってはいても中身は常と変わらぬ娘たちは、他愛のない話に夢中になっている。
そんな彼女たちを見ながら若者たちも小さなため息をついていた。
彼のようなエスコートがいては、娘たちが男を見る目が厳しくなってしまう。彼らもヴィンセントに好意を抱いてはいるが、
正直なところ今日のような場面では迷惑この上ない存在だった。
周囲の思惑を全く感知せず、中央に置かれたテーブルまでシーダを連れて行くと、役目を果たしたヴィンセントはさっさと
カウンター席に引っ込んでしまった。
「ご苦労さまです」
その鼻先によく冷えたシャンパングラスが差し出された。
「貴方がいなかったら、あの娘きっと逃げ出していました」
7センチのハイヒールと子守役を配備して娘の逃亡を防いだシエラはにっこりと微笑む。
ロケット村にある飛空艇の工房を束ねている彼女は、おっとりしているように見えて上手にシドを御する芯の強い女性だ。
じゃじゃ馬シーダも父より母の方に一目置いている。そしてヴィンセントもシエラの前では従順そのものの態度を示す。
「貴方も誕生日おめでとう、ヴィンセント」
「…ありがとう」
逆三角形のシャンパングラス同士が涼やかな音を立てる。
目の前の男がその若い外見にはそぐわない洗練された所作でグラスを干すのを、シエラは目を細めて見守っていた。
場を盛り上げようと上海亭の主人が招いた旅の楽師が、軽やかな曲を流し始めた。
シエラの友人たちはそれぞれの相手と手を取り合ってダンスに興じる。
シドニーも同じ工房で学んでいるひとつ年下の娘と踊り始めた。
おそらく、彼女の18歳の誕生日にはシドニーがエスコート役をするのだろう。
急に手持ち無沙汰になったシーダは、ダンスよりも料理を攻略するのに余念がない。
ウータイの独特の薬味が効いたアダマンタイマイのスープをお代わりし、こんがり焼けたエピオルニスの大きなひときれを
平らげる。
その彼女の脇腹をシドのクルーの一人がつついた。
「主役が何食い気に走ってる。ダンスしてこい」
「相手がいないもの。ブロンコ相手に大空で踊ってきていい?」
「馬鹿だな、普通はエスコート役がダンスも相手するんだよ」
雛チョコボの骨付きフライを手に持ったまま、シーダはカウンターでシドや他の男たちとグラスを傾けているヴィンセントを
振り返った。
モンスターや魔獣を相手に危険な死のダンスを踊るのは知っているが、「普通の」ダンスが出来るとは思えない。
「無理無理無理無理。そんなタイプじゃないわ」
「じゃあ、オレが相手してやろうか?」
いそいそと言うクルーを彼女は上目遣いに見上げた。
悪い男ではない。だが一緒にダンスをするとなると話は別だ。
手を取られて生理的に嫌ではない相手なら、もちろんヴィンセントが一番だ。
「…やっぱり頼んでみる」
ナプキンで指についた脂をぬぐい脱いで足元に転がしてあったハイヒールを履くと、シーダは慎重な足取りでカウンターへ
と向かった。
「おう、どうしたい。ダンスの相手も見つけられねえのか」
「あたしのダンスの相手は翼があるの。こんな狭いトコじゃ踊れないの」
毎回娘をからかう父の言葉にふくれながら、彼女は上海亭の主に振舞われた秘蔵酒を愉しんでいるヴィンセントの前に
立った。
「エスコート役はダンスの相手も仕事なんだって」
照れ隠しのあまり、ドレスの腰に両手を当てて仁王立ちになった娘を見て、父とその友人は顔を見合わせた。
どうみてもダンスへの誘いではない。
「決闘を申し込まれたような気がするのだが」
「すまん。しつけが悪かった」
ニヤニヤと笑う父の態度と、背中に刺さるギャラリーの視線にシーダはそわそわし始めた。
小型飛空艇を初めて飛ばした時も、モンスターと初めて闘った時も、こんな不安で所在のない思いはしたことがない。
やっぱりやめればよかったと思っていると、グラスを干したヴィンセントがすっと片手を差し出した。
「1曲だけだ」
何を言われたのか十分に理解できないまま、雰囲気につられて右手を彼の手に乗せる。
照れ隠しも吹っ飛び、シーダは立ち上がった相手に思わずぺこりと礼を返していた。
グラスを手にしていた男たちが盛大な野次を飛ばし、女たちは羨ましさに身をよじる。
無愛想なスナイパーにダンスの心得があるという意外な事実に、シド以外の面々は驚愕の色を隠せない。
手を取られ、背を抱かれて相手の動きについていきながら、シーダは目を見開いたまま呆然としていた。
馴れないドレスや靴のせいで動きにくかった身体が、彼に支えられて羽根のように軽く舞っている。
コンフュの魔法をかけられたのか?それともこれは夢なのか?
7センチの高さのハイヒールのおかげでヴィンセントの顔がいつもより近くに見える。
見慣れたはずのその顔を彼女は今更のようにきれいだと思った。同年代の友人だけでなく婦人会の女性たちが羨望と
嫉妬の視線を向けてくることなど、もはや眼中にない。彼女は頬が上気してくるのに気付き、慌てて顔を伏せる。
ごく幼い頃、彼はロケット村に長期間滞在していた。
ヴィンセント・ヴァレンタインをベビーシッターに雇うという奇跡を起こしたのは、偉大な父シド・ハイウoィンドだ。
だが自分と兄が成長すると共に不在がちになり、やがてごくたまにしか姿を見せてくれなくなった。
何も告げずに姿を消した彼を、シドニーとともに泣きながら探したこともあった。
危険を顧みずに小型飛空艇を飛ばしたり、モンスターに挑んだりして危機一髪という時には大抵彼の世話になった。
シドニーよりも無茶をするシーダは、助けに来た彼に担がれて窮地を脱したことが何度もある。
何も考えず無邪気に彼の膝に乗り、胸に飛びついた記憶は枚挙に暇がない。
だが、それらとドレスを着て抱かれて踊るというのは別次元の話だ。
子供として保護されるのと一人前の女性として扱われるのでは、これほど心と体に違う影響を与えるのか。
重ねられた手が、背に回された腕が、今までとは全く違う感触を伝えてくる。
彼はこんなに優雅で力強かっただろうか?
『ヤバイ。心臓がドキドキしてきた』
ヴィンセントが巧い踊り手であるかどうかなど彼女にはわからない。
だが彼に抱かれているというだけで頭に血が上りめまいがしてきた。
今にもひっくり返りそうで、それを防ぐには相手の胸にすがっていなくてはならず、薄いドレスを通じて伝わってくるヴィン
セントの体温にまたのぼせ上がるという悪循環。
彼の長い髪が頬に触れるだけでも動揺してしまう。
心臓が今にも口から飛び出しそうだ。
「どうした?食いすぎて気持ちが悪くなったか?」
しまいには踊れなくなって腕の中でくったりとしたシーダをヴィンセントは困惑して見下ろした。
フライを詰め込んだ後に振り回したのが良くなかったのか、胃薬がいるかと見当違いな心配をする相手に、ダンスの魔力
は一気に消えうせる。
バカバカ違う、と口の中で罵りながら、シーダは首を振った。
理由がわからないままに急に元気を失った娘を抱き上げて、ヴィンセントは壁際のソファまで運んでやった。
彼にしては珍しい「お姫様抱っこ」だったが、いつも通りに担ぐと腹を圧迫して吐くと思ったらしい。
彼にとって、自分はやはり手のかかる「子供」なのだ。
理由が想像できたシーダは複雑な思いをしながらも、初めてのお姫様抱っこにささやかな満足を覚えてしまったのだった。
「おう、みんな。今日は集まってくれてありがとうよ」
ダンスでのぼせたシーダが正気に戻った頃、人に命令をし慣れたよく通る大声でシドが挨拶した。
彼の言葉にいちいち歓声と拍手が帰るのはその人望の表れだ。
ヴィンセントとは違って真っ当に年齢を重ねたシドは、それにふさわしい貫禄を備えていた。
その覇気は若い頃と全く代わらず、むしろカリスマ性を増している。
「存分に食って祝ってやってくれ。ただし、余分に飲んだヤツはその金を置いてけよ!」
底なしの呑兵衛どもを牽制した一言に笑い声とブーイングが飛ぶ。
その騒ぎの中で出されたバースデーケーキはチョコレートとバニラクリームの二種類。それぞれに小さな蝋燭が18本
刺さり、照明を落とした店内できらびやかに浮かび上がった。
店内の全員が微妙に外れた音程で古くから伝わる誕生日の祝福の歌を歌う。
「さあ、ひと息に吹き消して!」
友人たちに促されて、シーダとシドニーは争うように蝋燭の炎を吹き消した。
その炎に象徴される今まで歩んできた18年の歳月を自分の中に取り込むかのように。
かつて二人一緒に腕に抱いた子供の頃を想起しながら、ヴィンセントはシーダとシドニーをじっと見つめていた。
18年の歳月は小さな赤ん坊を実直な若者と美しい娘に育てていた。
「おめぇもケーキ欲しかったか?年の数だけ蝋燭立ててやろうか」
「食べるところがなくなるぞ」
店で一番大きなホールのバースデーケーキが切り分けられて、参加者が一口ずつお相伴にあずかるのを眺めながらシド
が隣の男をからかう。
年齢と経験が彼の顔に感じのよい皺を刻んでいた。
それを好ましく思いながら、ヴィンセントは時の流れから取り残された自分自身にそっとため息を洩らす。
「何だよ、ため息なんかつきやがって」
「この喧騒に人酔いしただけだ」
「いつも世捨て人みてぇな生活してるからだろ。ちっとは修行に来い」
フラフラ徘徊してねえで、ひとっところに腰落ち着けたらどうだ、とシドは一方的で熱い説得を開始する。
曖昧にはぐらかしながら、ヴィンセントは手にしていたグラスを傾けた。
普通の人間は周囲の人々も同様に年を重ねていくために、日頃それをあまり意識しない。
だがヴィンセントは親しい人々が確実に自分を置いて遠ざかっていくことを感じている。
それは岸に立つ者が川の流れを見送るのに似ていた。
シドの代が去ってもシーダやシドニーの代が来る。だがそれもやがて過ぎ去り、彼らの子供たちの代を迎えるだろう。
おそらく、これから先は何度も何度も、新しい出会いと親しい人々との別れを繰り返していく運命が彼を待っている。
自分はそれに耐えられるだろうか、とヴィンセントはぼんやりと考えた。
心許した人々が星に還っていくのをひたすら見送るしかない。
どれほど強い絆で結ばれようと、最後にはかならず置き去りにされるという運命に。
だからこそ、彼は仲間たちとあえて距離を置いた。人里離れた場所を流離うことで新しい絆をつくらないようにしていた。
それは確実に訪れる別れをひそかに恐れていたからだった。
「おい」
唐突に肩を揺さぶられてヴィンセントは我に返った。目の前にある夏空の色をした瞳が彼を凝視している。
「おめぇ、またうじうじ病が始まったな」
「何の話だ」
「とぼけんじゃねえ。おめぇがそんな面してる時は、たいてい後ろ向きでろくでもねえことを考えてやがるんだよ」
「悪かったな、こんな顔で」
ヴィンセントは目を逸らし、バーテンが渡してくれた新しいグラスを受け取った。
酔えるはずもないのだが、とりあえずはシドの視線から逃れられる。
かつて共に旅をしていた頃からシドは彼の煩悶をよく見抜いた。
他のことには鈍感なくせに、何故かヴィンセントが不毛な思考に陥っていると嗅ぎ付けて、容赦なく追求を始める。
旅の頃は「話をすりかえるんじゃねえ!」と噴火するシドと大喧嘩になったものだが、老練な飛空艇師団長は別の戦術を
身につけたようだ。
「この間、シーダが読んでた詩なんだがよ」
唐突に話題を変えたシドに、ヴィンセントはグラス越しに視線を投げる。
「おめぇ、犬飼ったことあるか?」
質問の意図がわからず沈黙を守る彼に構わず、シドは続ける。
「その、ワンコロの視点で書かれたもんでな、けっこう穿った内容でへえ、と思ったぜ」
シドはふところからタバコを取り出して火をつけた。彼らの背後では酔っ払った一同が上機嫌で笑い、食べ、喋っていた。
「『私の一生は10年か15年しかありません。だからほんの少しの時間でもあなたと離れているのは辛いのです』」
シドが諳んじた詩を呟き、ヴィンセントは頬を強張らせた。
「寿命が長いヤツにとっちゃあちっとの間でも、短いヤツにしたら長く感じて辛いってこった」
シドは煙を長く吐き出した。ヴィンセントは口から離したグラスを宙に浮かせたまま一点を凝視している。
「最後のは泣かせるぜ。『最後の旅に出かける時は、そばで私を見送ってください』」
見ているのが辛いだの、自分のいないところで逝かせろってのは飼い主のエゴってことだ、とシドは続ける。
「それでよ」
「もうよせ」
「いいから聞け」
有無を言わさぬシドの声にヴィンセントは唇を噛み締めた。
グラスをつかんだ手が小刻みに震えている。
シドは容赦なく追い討ちをかけた。心許した者がそばにいれば、死をも安らかに受け容れられることがある、と。
「『そして覚えていてください。わたしがあなたをとても愛していたということを』」
鋭い音とともにヴィンセントの手の中のグラスが粉々に砕けた。
騒がしかった店内がしんと静まり返る。
ヴィンセントは一同を顧みることなく立ち上がり、血の滴る拳を握り締めて無言のまま店を出て行った。
「すまねえ。痴話げんかでグラスに八つ当たりしやがっただけだ」
苦笑しながら弁解するシドに、その場は和やかさを取り戻す。
「なんだ、脅かすなよ」
「艇長、ちゃんと仲直りしてきてくださいよ」
「わかったわかった」
シドは心得顔のバーテンから水差しと包帯を受け取るとヴィンセントを追ってドアを開けた。
上海亭の裏庭にヴィンセントは突っ立っていた。
超回復力を誇る彼の右手が未だに血を滴らせているのは、爪が手の平に食い込むほどきつく握り締められているからだ。
双子の誕生パーティという場も弁えず感情に任せて出てきてしまったことを悔やみながらも、今の彼は心を鎮められない。
判っていたことだった。
自分は他と異なる時間軸の上を歩んでいる。自らは朽ち果てることなく親しい人々の死を見届け続けねばならない。
それが苦しくて人との深い関わりを避けてきた。彼らを喪っても深く傷つかずに済むように。
だが距離を置くと言いながら、時折孤独に耐え切れず心許した人々の消息を追ってしまうのも事実だ。
逢わなくても彼らの無事な様子を遠くから見て満足する時もあるし、何らかの協力要請があったことを理由に滞在すること
もある。
不義理を責められながらも許されて受け容れられ、その温かさに馴染んでしまいそうな自分に気付くと慌てて出奔する。
そんな彼の行動を、仲間たちは魔獣を宿していることの負い目か元々の放浪癖と理解しているが、シドは彼の本音を見抜
いていた。
喪うことを恐れる余りに、大切なものを胸に抱くことが出来ない彼の弱さを。
ヴィンセントは自分の身を支えていることすら苦痛に感じ、上海亭の壁に頭を預けた。
力の入った両拳が震え、右手からは更に鮮血があふれて滴り落ちる。
今に始まったことではない。WROでも、セブンスヘブンでも、ウータイでも、温かな網に捕まらぬように寸前で身を翻して
逃げて来た。
シド・ハイウインド。何故あんたの槍だけは、いつもこの胸を突き刺し捕らえるのか。
店を出たシドは左右を見渡し、すぐに地面に点々とついた血の痕を見つけた。
グラスを割ったくらいの傷ならもう治り始めているはずだ。簡単に後が追えるほどの出血が続いているのは、彼が自分で
自分を傷つけているからだろう。
「あの野郎、そこまでキレたか」
苦笑いを浮かべ、シドは悠然とした足取りで歩き出すと、苦もなく逃げ出した彼の居場所を突き止めた。
建物のすぐ脇にある路地を入ったところにある上海亭の裏庭に、ぽつんと孤独な影が佇んでいる。
気付いた相手が顔を背けるのにも構わず、シドは足取りを緩めることなくそばへ近づく。
「よう。ヒステリーは治まったかよ」
「…別れが辛いならば…犬など…飼わなければいい…」
背を向けたままひどく掠れた声でヴィンセントは呟いた。
シドは鼻を鳴らして、裏庭に転がっている酒瓶用の木箱に腰を下ろした。
「それもひとつの選択肢だな。だがおめぇはもう飼っちまった。それも一匹や二匹じゃねえ」
「………」
ヴィンセントは黙ったまま振り返ろうともしない。その肩が不規則な呼吸で震えたがシドは見て見ぬふりをした。
「いい加減あきらめろ。いつまで逃げ回るつもりだ?いや、逃げ切る勇気もねえ根性なしだよな、おめぇは」
「…あんたに判るか」
追い詰められてたまりかねたように、食いしばった歯の間から押し出すような声が漏れた。
「全てに置き去りにされる。その苦痛があんたに判るのか」
「判るわけねえだろ。甘ったれんな」
非常に珍しい彼の弱音を、シドは一刀のもとに切り捨てた。
「てめぇだけが被害者面しやがって。オメガん時を忘れたのかよ」
1週間以上も行方不明になりやがって、それこそコッチの苦労も判ってるのかとシドは厳しく弾劾する。
「確かにおめぇは不老不死だ。まっとうに行きゃあ俺たちん中で一番長く生きるんだろうよ。だが断言できるのか?」
ヴィンセントの体にはエンシェントマテリアが埋められている。
それはカオスへの影響力を彼がまだ持っているということ。
星全体に関わるような事態が起きれば、積極的に関与するにせよ引きずられるにせよ、ヴィンセントは無関係ではいられ
ない。
それに、必要不可避となれば自分の命を無造作に投げ出して大切にしているものを護り通すことは、仲間の誰もが知って
いる。
「そん時に置き去りにされるのはどっちだってんだ。ふざけんのもいい加減にしろ」
「…………」
ヴィンセントは唇を噛んだ。業腹だがシドの主張は正論で言い返す言葉もない。
「それにまだ俺たちゃ生きてるってのに、もう死んだ後みたいな言われ方をすんのも気に入らねえな」
容赦なく罵倒しながら、シドはヴィンセントの右手から滴っていた血が止まっているのに気付いた。
つま先で手近なところに転がっていた木箱をもうひとつ引き寄せ、その上を叩く。
「ここに座って手を出せ」
背を向けたままのヴィンセントは苦笑したようだった。
「すわれ、お手、か。あんたの方が飼い主のようだな」
「ああ。半野良の躾けは手がかかって困るぜ。ほれ、さっさと来い」
長いため息をひとつ吐き出して、ヴィンセントは従った。
二人の外見だけを見たものは、父親に叱り諭される息子と思ったかもしれない。
シドの示した木箱に腰を下ろしたヴィンセントは俯いたまま、その表情は長い黒髪が覆い隠していた。
血糊がべったりとついた右手を水差しの水で流しながらシドは呆れた。割れたグラスで切った傷はすでに治り始めており、
深々と口を開けているのは彼自身の爪が切り裂いた痕だった。
「銃使いが利き手を自分で痛めてどうするよ」
「かまわん。どうせすぐに治る」
「そういう了見で自分を粗末にしやがるから、信用ならねえんだ」
シドは包帯を巻き終えると目の前の長い黒髪を梳き上げて相手の表情を晒させた。
静かに彼を見返した夕日色の瞳は充血し、かすかに涙のあとが残っていた。
子供にするように髪を撫でてやりながら、シドは口調を和らげる。
「そのキレイな顔で泣かれると、自分がひでぇ極悪人に思えてくるな」
「まったくだ。少しは手加減しろ」
まるで槍を何本も心臓に打ち込まれたようだ、とヴィンセントは包帯を巻いた手で胸を押さえながら相手を睨む。
シドの唇にいつもの笑いが戻り、相手の頭を乱暴に胸に抱き寄せた。
「潤んだ目で睨むなよ。押し倒して慰めてやりたくなるじゃねえか」
「遠慮しておく」
あからさまに嫌な顔をしながらヴィンセントはシドを押し返して立ち上がった。
冗談をまともに受け取る相手を笑いながらシドも腰を上げ、大きく伸びをする。
「せっかくだ。ここでしばらくオレの仕事を手伝えや」
「あんたは人使いが荒いから嫌だ」
早くも立ち直った彼は素っ気無い返答をよこす。
「WROよりゃいいだろうが」
「あそこはまだ給料が出るだけましだ」
「ダチから給料とるつもりか、おめぇは」
「代価ももらわず働くのに少々飽きた」
「フン、言いやがるぜ。長期滞在すると別れるのが辛いからってんで、さっさと逃げ出す意気地なしが」
「何とでも言え」
「おうよ。置いてきぼりにされるのが寂しいってべそかいてたことを、クラウド達にもばらしてやらあ」
言葉を失い、赤くなって睨みつける相手をシドはにやにやしながら眺めた。
いつもは無表情で自らを隠してしまうヴィンセントが感情をむき出しにするのが楽しくて仕方がない。
自分に対してだけ弱みを見せる彼を理解しているシドは、もちろん口外するつもりはない。
だがそれをネタにしてからかう楽しみを手放すつもりも全くなかった。
「泣いてるほっぺにちゅーして慰めてやったら泣き止んだってな」
「…あんた、年とったらよけいにオヤジギャグがひどくなったぞ」
「ぬかせ。おめぇの方が年寄りじゃねえか」
大人気ない二人の口論は第3者には全く意味不明だった。
地面に残るヴィンセントの血痕を辿ってきたシーダとシドニー、それに上海亭にいた面々は、二人からは死角になる路地
で顔を見合わせた。
「父さんがヴィンセントの怪我は手当てしたみたいだけど、またケンカが始まっちゃったよ」
「でも何でケンカしてるのかさっぱりわかんない」
「放っておきなさい」
後からやってきたシエラが穏やかに言い放った。
「あれは二人のレクリェーションですから」
それより、コーヒーと紅茶、どちらがいいの?と聞かれて一同はぞろぞろと店内に逆戻りする。
シーダはもう一度振り返り、口論しながらも笑顔になっている二人に気付いてそっとため息を洩らした。
さっきまでの喧嘩が彼女の脳裏にリプレイされる。
交わしている言葉はよく聞き取れなかったが、何かを言い争っているようだった。
あれほど感情的になったヴィンセントは見たことがない。
そして父以外の他人にはあんな風に触れることを許さないのだろう。
父と彼の間には誰にも入り込めない絆があった。そう思うと彼女の胸にきゅんと小さな痛みが走る。
ほんの少し感じた嫉妬は、父に対してなのかヴィンセントに対してなのか、どちらとも判断がつかなかった。
上海亭の中からはコーヒーの芳香がゆっくりと漂ってきていた。
syun
2011/10/13
引用:THE DOG’S TEN COMMANDMENTS 作者不詳
ええと、今月はヴィンセントさん耽美描写強化月間とさせていただいております(笑)
最初は年頃になったシーダがヴィンセントに「男」を感じてときめく、というオトメな話にして、ヴィンセントをよいしょするつもりだったのです
が、シドと絡ませた途端にあれよあれよと話のテイストが変わってしまいました。艇長パワー、恐るべし。不老不死で何百年も生きれ
ば悟りも開けるんでしょうが、ヴィンさんはまだ100年未満。なまじ平均寿命に近いあたりをうろうろしているものですから、執着やら悲
哀やらを感じてしまうんでしょう。ましてや眠りから醒めて最初にできた絆であるシドやクラウドやティファあたりを見送る時は相当辛い
思いをしそうですね。何回か繰り返すと馴れや諦めも出てくるのかもしれませんが。(笑)不老不死の彼からみた人間というのは、人
間が犬やネコなどの寿命の短い愛しい生き物を見るのに近いのかも、などと思っています。「犬の十戒」は読むたびに号泣してしまう
バイブルですが、限りある命を生きるヒトから彼へのメッセージとしてもドンピシャ!と思いまして引用させていただきました。この世を去
る仲間たちから「忘れないで。あなたをとても愛していた」などと言われたら、いくらヴィンさんだって泣いちゃうでしょう!上海亭の裏庭の
下りではシドがヴィンさんを押し倒しそうな勢いだったのですが、そこはやっぱり裏庭だし、子供たちも見ているしで別の話にさせていた
だきました(笑)